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アニメやラノベの感想とたまに備忘録

こみっくがーるず 感想

なんで、きらら枠で泣かされてんだよ!

 

「ボツマンガ先生」「かおっさん」などの愛称でニコニコ民から愛されていた、かおす先生があんなに頑張ってたらそりゃ泣いちゃうよという最終回でした。

 この作品は原作がそういうテイストなのかわからないが、とにかくギャグの切れ味が良かった。特に6話Aパートの怖浦先輩が登場する回は上田麗奈VS赤尾ひかるのどっから声出してるんだ決戦という感じでまったく忘れられない最高の回でした。

 10話ではBGM芸まで使ってきてギャグアニメとして本当に素晴らしかった。

 

 ただ、ギャグだけでなくかおす先生をはじめとする各キャラクターたちのドラマが単純にめちゃくちゃ面白かった。

 印象深いのは4話の爆乳💛姫子先生こと琉姫先輩がサイン会当日の朝にファンに失望されないように、どのような髪型にするか悩むシーンを1カットで約55秒に渡ってセリフなしで憂鬱な表情を映し続けたシーンだ。

 8話の大人回も最高だった!かおす先生の編集の編沢さんや担任の先生である美晴先生、寮母をつとめている莉々香さんの3人にスポットがあたるという変則的な回ではあるのだけど、夢破れた大人がそれでも悲観的にならずに今日を生きている感じがめちゃくちゃ良かった。特に編沢さんのかおす先生に対する熱い思いをそれでも本人には絶対に伝えないプロの編集者としての姿には目頭が熱くなってしまいました。

 そして、なんといっても最終回!翼、琉姫、小夢の3人は一足先に寮を出てしまい、かおす先生は一人で締め切りに立ち向かうという展開なのだけど突破口になるかおす先生の母親(CV能登麻美子)があんまり見たこと無い立ち位置ですごく良かった。実の娘がマンガ家になるのをすごく応援していて娘のことを「かおす先生」と呼んじゃう暖かい母親なのだけど、その温かさに飲み込まれずにマンガ家として生きていく決意を語るかおす先生を見たらこちらまで泣いてしまうのはしょうがないよね。

 

 いっつも泣いてたり、おびえてたり、女の子同士がいちゃついてるのを見ると拝み倒してお金を払おうとするけどマンガへの情熱を失わない薫子ちゃんこと、かおす先生が本当に大好きになれた忘れられない作品になりました。

 

 赤尾ひかるさんの「あばばばば!」がまたどこかで聴けることを願っています。

メガロボクス 感想

「前に五、後ろに五」この作品の中で繰り返されたこの言葉がこの作品の中核となるものだったと気づいたのが12話目だった。

 

あしたのジョー」のリブート作品ということと、キービジュアルからなにやらメカをつけて戦うらしい。という程度の情報しかもっていなかった自分としてはこの作品に対して期待は全くなかった。

まぁ、軽く様子だけ見ようかな?と思って見た1話はそこまで悪い物でもないかなぐらいの印象だった。そもそも主人公の名前が「ジャンクドック」でしかもアフロという「あしたのジョー」の要素が丹下段平ぽいセコンドのおっさんだけ。逆にどうやってあしたのジョーにつなげていくんだと気になることばかりだった。

自分がこの作品にのめり込むきっかけとなったのは3,4話だ。

3話の途中の展開でピーキーな試作機を使って新型をガンガン倒すみたいな展開を予想していたのに、最後はその試作機ギアも壊れてしまう。そして、生身のままでギアを使った敵を倒してしまう。それを見た贋作が「これだー!」と喜ぶ。この一連の展開で「その手があったか!」と膝から崩れ落ちてしまった。

そして4話で「ギアレスジョー」としての戦いが幕を開けた。4話がすごいと感じるのは恐怖の描き方だ。相手はギアをつけていてパンチ力がジョーよりも上である。しかし、ジョーはギアをつけていないので相手よりも多くパンチを入れなければ勝つことはできない。

そんな中で恐怖を覚えないわけもなくジョーは動きが若干鈍ってしまう。そして、ガードの上からだが強烈なパンチをもらってしまいダウンしてしまった。そこからはジョーの動きが精彩を欠いたものとなってしまう。この恐怖の描き方がとてもリアルであると同時にこの作品の主人公であるジョーは恐怖すら感じないスーパーヒーローではなく、ただの人間であることが示されているようでとても嬉しかった。

その後も南部の昔の教え子であるアラガキ、白都の後継者争いに敗れた白都樹生と素晴らしいエピソードが続いた。特にVS樹生は一度は不戦敗になるものの贋作ではなくジョーの活躍によって試合をする権利をゆき子から得た第8話はボクシングシーンがなくてもキャラクターの動きだけで充分に面白いと思える素晴らしい回だった。

そして、盛り上がりとしては最高潮を迎える10話、11話が始まった。

再びイカサマをやることとなったジョーは地下で使用していたぼろぼろのギアをつけてリングに臨む。それは「ギアレスジョー」としてではなく「ジャンクドック」としてリングに上がるという彼の意思表示だったのだろう。

そして、何回も繰り返し名シーンとしてゴールデンタイムの名作アニメべスト100みたいな特番で放送されたあの言葉が贋作から放たれる。

「立て、立つんだジョー

この言葉をきっかけにジョーは息を吹き返し、逆転勝利をつかみ取る。

「誰にもお前のあしたを奪わせはしねぇ」これはあのセリフの後に贋作が続けた言葉である。藤巻から刺さずにはいられない蠍と嘲られていた贋作はこのとき過去の自分と決別したのだろう。その結果として残っていた目を失うことになってしまったが。

このときに難しいのは藤巻である。彼は贋作を追い込んだが、目を差し出した贋作を手打ちにしたのも彼である。そして、贋作に対して最後に「笑わせるぜ」とまったく愉快ではなさそうにかみしめるようにつぶやいた。

浅はかな私見ではあるが、藤巻はほんの少しだけ贋作に対して嫉妬していたのではないだろうかと思った。藤巻は贋作に対して何度も「あんたの本性は蠍だ」と言い放つ。藤巻の動きをみていると単なるビジネスの一部として贋作やジョーを見ていたとは思えない。ただ、裏の世界の大物として振る舞う必要のある藤巻は贋作を贔屓するようなマネはできなかったのだろう。だから、目玉という代償を払った贋作を許したと同時に本性から解き放たれた贋作を羨ましく思った部分もあったのかもしれないと感じた。

12話ではユーリによる一体型ギアの剥離を「あしたのジョー」の力石の減量をほうふつとさせる演出で見せてくれた。ここまできてギアVS生身の構図を覆してきて勝敗を超えた部分のドラマに持っていくのかと体が震えた。そして、そのことによって「前に五、後ろに五」の意味に気づかされることとなった。この物語が到達しようとしているのは単純に勝利によって「あした」をつかむなんて次元ではなく、勝ちも負けも糧として「あした」を掴み取るというただ言葉にしただけでは陳腐なテーマを全力をこめて描こうとしていることに気づかされました。

そして、最終回13話では多くの時間を割いて決勝戦のその後が描かれる。

戦いそのものは魅力的であっても勝敗がほとんど意味を持たないこの展開では納得のいく時間の使い方であった。

そして、ジョーもユーリも幸福な「あした」をつかめていることがとてもうれしかった。

原作である「あしたのジョー」では力石は死んでしまい、ジョーも最後には真っ白に燃え尽きてしまう。原作では描かれなかった「あした」を描くというのもこの作品が単なるリメイクではなくリブートだからこそできたのだろう。

2018年に「あしたのジョー」をよみがえらせるという難題を見事に成し遂げた最高の作品でした。

「響け!ユーフォニアム」未視聴者の リズと青い鳥 感想

 京アニの限界までの繊細な作画と山田尚子監督の絵コンテが少女の気持ちを手と足で描き出す、比類なき傑作でした。

 

 自分は「響け!ユーフォニアム」を1期も2期も見てないクソ雑魚野郎なのですが、公式あらすじの「希美と過ごす毎日が幸せなみぞれと、一沿退部したが再び戻ってきた希美。

中学時代、ひとりぼっちだったみぞれに希美が声を掛けたときから、

みぞれにとって希美は世界そのものだった。

みぞれはいつかまた希美が自分の前から消えてしまうのではないか、という不安を拭えずにいた。」という情報だけで、全然大丈夫でした。というか、冒頭から忠犬のように希美を待つみぞれや、丁寧に下駄箱から上履きをとりだすみぞれと雑に上から落とす希美といった二人の性格が映画の中だけでかなり細かく描かれているのでこの映画だけでも性格が良く見えてきます。

 

・希美視点の「持たざる者」の物語

 友人と一緒に見に行ったのですが、感想を言いあっているとなんとなく話の追いかけ方が違う気がしていたのですがよくよく考えると自分は希美の視点で物語を追っていたからだと気づきました。

 自分が希美に肩入れしてしまったのは、新山先生に希美が「音大へ行こうと思っています」と言ったのに「応援してるわ」と軽くあしらわれてしまったシーンからです。

 あのシーンでコミュ力が高く、人望もフルートの技術もあって可愛い完璧女子高生と思われていた希美が演奏に関してはみぞれよりも劣っているとプロから評価されていることが示されてしまう。それから希美はなんとなくみぞれのことを避けてしまうようになるのですが、嫉妬というか自分が手を引いて導いてあげる存在のはずのみぞれが自分の手に負えない存在であることを認めたくない感じというのが伝わってきてすごく痛かったです。

 そこからの「リズと青い鳥」の再解釈から青い鳥としてのみぞれの演奏が始まるのですが、差し込まれる演奏についていけないフルートの希美が痛々しくて「櫻井さん演奏止めないの!」と心の中で絶叫してました。

 そして、理科室での大好きのハグで「希美のすべてが好き」と告白するみぞれに対して、「みぞれのオーボエが好き」とだけ返す希美があまりにも痛くて少しだけ泣いてしまいました。「みぞれのオーボエが好き」という一言には二つの意味があると思っていて、一つはみぞれへの承認というか鳥かごの鍵を開ける意味があったと思います。「みぞれがオーボエを続けていくことが私にとってもうれしいことなんだよ」と伝えることでみぞれが音大に行く後押しをしているのかなと思えました。二つ目は自分への言い聞かせとして「みぞれの才能を認めてあげよう」という思いがにじみ出ていた気がします。

 そして、最後は冒頭と同じように朝早くから学校に来る二人。みぞれは練習に希美は大学の試験に向けた勉強を図書室でする。二人は離れる時間が増えたけども前よりお互いを信頼することが出来るようになったかな?という幸せの予感を残して物語は幕を閉じる。

 

みぞれにとっては「恋」の物語、希美にとっては「才能」の物語。

実は最初から最後までお互いに違うところを向いていたけども、みぞれは希美が前のように見捨てないことを信頼できるようになり、希美は自分がみぞれにかなわないことを受け入れることでお互いに前よりも屈託なく笑いあえる関係になることができた。

私がこの映画にあまり百合的な要素を感じることがなかったのは希美の視点から見ると、みぞれに対して友情以上の特別な思いというのを見出すことができなかったからなのかな~と思う。

 

 もし、2人の関係性の続きを書いてくださいというお題が出たらみぞれが希美に対して失恋しながらも恋ではなく愛を学んでいく。みたいな悲しい結末しか思い浮かべることができないので、みぞれちゃんを幸せにできなくてつらい。

 

 あとは剣崎後輩がすっごくかわいい!とか、水着をキングクリムゾンするのは作風的に理解できるがやっぱり見たかった!とかくだらないこともいっぱいあるのですが、ここまでにしておきます。

 

 魂に刻み込みこまれた作品になりました。