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アニメやラノベの感想とたまに備忘録

ゾンビランドサガ 感想

ゾンビランドサガ 感想

 

個人的には2話のラップから「このアニメいけるぞ!」と思っていたのだけど、ここまでの大ブームになるとは本気で誰も思っていなかったのではないだろうか。

 

アイドルアニメという手垢がつきすぎてもうどうすんだ、という題材に対して「ゾンビ」という要素を噛ませるだけでここまでの作品になるってちょっと天才だとおもう。

 

まず、アイドルという仕事をしたいという動機付けをすっ飛ばせるというのがすごい。

巽幸太郎による強制という形で、アイドルに導入するので「人々を元気にしたい」みたいなポジティブすぎてついて行けねーよ!というような動機にならなかったのがうまい。

ちゃんとした動機付けは3話のゲリラライブを最後まで見てくれた幼女先輩の笑顔というのが視聴者側でも納得しやすい構成で、あそこで初めて「王道のアイドルもの」をやる気あるんだ!と驚いた事は今でも覚えている。

逆にいうと1,2話は一切アイドルアニメの文法に乗っける気のないかなり特殊な回を序盤にブッ込んでいるのがある種のフリになっているのが面白い。

そんな、まともな第3話の後の4,5話はご当地アイドルとしてのどさ回りをゾンビを軸にしたギャグで魅せる「ゾンビギャグ」ものの側面が強調されているのが「せっかくのゾンビ設定で真っ当なことしかやらなかったらもったいないだろ!」という制作側の気合いが伝わってくる。

特に5話は実質たえちゃん回という感じで、さくらとたえの関係性の描写と巽に反抗する愛や地元愛を魅せるサキなどギャグをやりつつもキャラの性格をうまく出しているのが凄い。

キャラの性格が一通りわかったところでどうしてもシリアスにならざるを得ない各キャラの「死」を掘り下げる6,7話は予告を見たときは「ええ~、シリアス回やるの?ギャグが切れてるんだから下手にシリアスやんなくて良いよ」と思っていたのだけど、蓋を開けてみればあまりにも面白くて何回も見てしまうレベルの話で本当に驚いた。

しかも、ただシリアスなだけではなくて洗剤を持っていくたえちゃんや良いところで車に轢かれる純子などギャグもきっちりやってくれるという貪欲さとそれを成立させる手腕にはただただ賞賛を送るしかない。

8話のリリィ回は3回見て3回泣いちゃう笑えて泣ける傑作回としか言えない出来だった。

あんな縮尺ガバガバなパピィと実は「まさお」だったリリィで真っ直ぐな親子愛をやるとか詰め込みまくりなはずなのにしっかり見れるのは凄い。

9話はサキのかつての友人へのエールと再開しても自身の正体を明かせない切なさ、ネットで元ネタが特攻の拓であると知った「!?」が印象的な回だった。

 

物語を締めくくる最後の3話はさくら編であり「失敗しても諦めずに立ち上がれ!」という言葉にするとチープすぎて愛ちゃんのサガジェンヌばりの舌打ちをかましたくなるテーマを全力でやりきった、これぞエンタメじゃい!NYタイムズ見ているか!と言いたくなる最高の展開だった。

「もってない」さくらはかなり極端に描かれているけど、努力したのに報われなかったなんていうのは世の中のほとんどの人が経験したことだと思う。

西尾維新のなんかの作品で「やって後悔するよりも、やらずに後悔した方がいいだろう」みたいなセリフがあったのだけど、それって多分真実でやって後悔した場合にはさくらみたいに再起不能になるくらいまで追い込まれてしまう。やらない選択肢をとれば結果を突きつけられる事はないから、やって失敗した時よりもはるかに傷は浅くて済む。

じゃあ、自分には何もできないと思い込みながら生きるのに必要最低限のことだけやって何にもチャレンジせずに生きていくのが良いのかというと「徒花ネクロマンシー」では「心を無くすことが死(おわり)と知れ」と歌われているようにそれこそ「ゾンビ」に他ならない。

11話、12話前半のふて腐れて何もしようとしないさくらはあの時本当にゾンビになってしまっていたのだろう。

 

たえちゃんのように言葉をしっかり喋れなくても、メイクをしなきゃ人前に出られなくても、一生成長しないとしてもそれは生死とは関係ない。

全てに絶望して、歩みを止めてしまった時たとえ肉体が健康だったとしてもそれは死んでいるのと同じである。

 

2019年を前に改めて背筋を正して人生を生きていこうと思える作品に出会えました。

 

ライブ当たると良いな!