Dr.STONE 感想 知識と技術、そして何より人に敬意を
2クール作品なので2019年秋もこのアニメを楽しめることを嬉しく思うが、2019年夏クールの時点であまりにも面白すぎたため一度感想を書き記しておく。
このアニメが始まる前に原作既読済みの友人が「ヒル魔の異世界転生」という表現をしていたがまさにそれがピッタリで、7話からは石化せずに生き延びていた人々と共に独裁帝国をつくる司に対抗するために村人たちを巻き込んで科学王国の結成を目指すというのが1クール目後半の流れだ。
旧時代的な暮らしを営む人々に対して現代の知識を持った主人公が人々の問題を解決するという流れは、転生こそしてないものの異世界転生モノの亜種として捉えていいだろう。
しかし、この作品が面白いのは主人公1人ではどんな知識を持っていたとしても無双できないという点だ。
それが顕著に描かれるのが5話と6話である。
村のような人の共同体がないと自分の生活の糧を集めるだけで1日が終わってしまい、日々の生活を便利にするような工夫をする時間がないというのは考えてみれば分かることだが、このアニメで気付けたことだ。
村を乗っ取って科学王国にするという野望を叶えるための第一歩として始めたのが、マンパワーを集めるたのラーメン作りというのも科学というものが1人の天才だけでは成立しないことを象徴しているように思う。
知識を持つ者、材料を集める者、器具を作成する者、多くの人間を動員しなければならない以上、千空は現地の人々を仲間にしていく。
この作品がとても見やすく、面白いと感じられる要因の1つとして千空の現地の人々への接し方があるように思える。
個人的に千空をすごく好きになれたのはクロムへの接し方だ。
7話で妖術対決と称してクロムが炎色反応や静電気など学校で習うような科学を披露した際に「子供科学実験教室かよ」と言いつつも、原始の村で一人で科学を探求し続けてきたクロムに尊敬の念を抱く。
自分が出来ることであっても、クロムが時間をかけて発展させてきた小さな科学に敬意を払えるというのが人の態度として大切なモノだがらだ。
千空はチート的な科学知識を持ちつつも、人を馬鹿にしたりマウントを取るようなことはない。
それは、千空自身が知識と技術に敬意を払うことを忘れていないからだろう。
同じく7話でかつて科学によって繁栄した時代があったことを聞かされたクロムは人類の積み重ねた知識が途絶えてしまったと涙するのだが、それに対して「人類の200万年はここにある」と千空自身の頭とクロムの胸(ハート)を指差す。
千空は言葉に端々に科学の発展には膨大な人々の試行錯誤があったことを感じさせる。だからこそ、「人類の200万年はここにある」という言葉の際に自分の頭だけでなくクロムの探究心も含めたのだろう。
技術の部分では村の職人である老人カセキが面白いキャラクターだ。
日本人が大好きなモノづくり一筋の爺さんがガラス作りに参戦した時に「いつの時代にも居るってこった、仕事に人生捧げた本物の腕のおっさんが」と非常にいい表情で言っているのも千空が技術を体得してきた老人に対して敬意を払っていることが伝わってくる。
この作品は目的がシンプルで物語の都合上で気になる部分はほとんどないのだが、見ていた当初引っかかったのは司との意見の相違の部分で「人類全員を助ける」という目標設定である。
主人公として殺人を容認するわけにはいかないというのは理解できるけど、一旦は司に従うという選択肢もあるのでは?
何より、司に対する思想的な反論って千空は持ってなくね?
千空がなぜ「人類全員」を標榜するのかはずっと謎だったのだが、なんとなく理解できたのが11話のスイカのメガネ作りの話だ。
近眼で自信を「ボヤボヤ病」と嘆くスイカに対して千空は「それは病気でもなけりゃ、欠陥でもねぇ」と言い聞かせる。
ここでなぜ千空が「人類全員」を助けるという意思を手放さなかったかが少しわかった気がした。
千空にとって科学とは「人を救うモノ」だからなのだろう。
司は文明によって利権争いが起こることを嫌い、日々の生活で手一杯になるような原始的な生活のままの国を作ることを目指すと表明した。
しかし、それは「ボヤボヤ病」で苦しむスイカや病に侵されたルリのような肉体的な弱者を切り捨てるような世界を作るということに他ならない。
科学が進んだ今の世界では多くの病気が治療可能だし、近眼でもメガネをかければ、足が動かなくても車椅子を使えば…どんな肉体的ハンデを持っていても生きていける。
科学はすべての人の命を救う。それが善人か悪人かを問わず。
なればこそ、千空は「人類全員」を標榜するのだろう。それが科学の正しいあり方なのだから。
ルリを助けると同時に明らかになった村の名前「イシガミ村」一体千空とどんな因縁があるのか、2クール目も楽しみです!