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1番の「敵」は何だったのか? 『ご主人さまは山猫姫』感想

BookWalkerの電撃文庫の25%引きセールで以前から気になっていた『ご主人さまは山猫姫』全13巻を一気がしたわけだが、これがあまりにも面白すぎておよそ2週間で全巻読破してしまった。

あらすじとしては8世紀から12世紀ごろの中国をモデルとした架空の帝国「延喜帝国」を舞台に北方の国シムールの姫「ミーネ」とパッとしないがシムールの言葉を話すことができる青年「晴凛」の2人が延喜帝国の興亡に巻き込まれるというみんな大好き王道戦記物である。ちなみに、魔術の類は一切出てこないのでファンタジー的な要素が入るとちょっと……という方でも安心です。

丁寧でありながらテンポのいい物語の運び方やしっかりラブコメを入れてくれるところなどライトノベルの戦記物における教科書と言ってもいいくらい完成度が高いこの作品だが、1番面白いと思ったのは「敵」のあり方である。

1巻のラストから「尊皇討肝」の旗を掲げて摂政を裏から操る苑山燕鵬が敵の親玉として描かれるわけだが、9巻で南と北の両面から攻められて旗色が悪くなると同時に摂政である菰野盛元派のものに殺されてしまう。しかし、これによって帝国はさらなる混乱に陥り挙句には皇帝暗殺まで企ててしまう。

悪の親玉であったはずの苑山燕鵬が死んだはずなのに、帝国の崩壊が加速するというのは字面だけ見るとチグハグな気がする。では12巻で黒幕として帝国への影響力を保持し続けていた鵬儀天膳が親玉なのであろうか?

これも違うであろう。もちろん絶大な影響力を誇っているからこそ帝国再興では邪魔な存在ではあったが晴凛も伏龍も鵬儀を倒すのは目的ではなく手段であった。では、この作品で晴凛と伏龍は一体なにと戦い続けたのであろうか?

それは「組織」だったのではないかと思う。もっと言うなら「組織という枠組みそのもの」だろうか。人は群れを作って生きている。国家もその群れの1つである。国家という数百万人が群れを作るために軍、役人、民衆、皇帝が存在する。これが延喜帝国の大雑把な役割分担であったが同じ形態の組織が長いこと続けばそこには必ず派閥と利権が生まれる。作中では平和な時間が長かったので役人が大きな権力を持つことになってしまった。この役人の暴走によりシムールとの戦端が開かれることとなってしまう。晴凛と伏龍は皇帝の力を借りて組織の再編を行う。

また、北域国の立場は独立した緩衝地帯としてシムールでも延喜帝国にも属さない国となった。ここでシムールと延喜帝国の友和を説くのではなくある程度緊張感のある敵対関係を持ち続けることとしたのが「組織」という消耗品を少しでも長持ちさせる秘訣であるような気がする。組織が腐敗するのは著しくバランスを欠いてしまうことから生じる。策中では大きな戦乱がないために役人が力を持ちすぎてしまい、ろくに戦争の準備もできないところを北と南から攻められた。ならば、延喜帝国としてはシムールとの緊張関係を保ち続けることで軍部の発言力の低下をある程度抑えることができる。シムールとしては帝国を攻め滅ぼそうという過激派を押さえることができる。相容れない同士でありながらも平和を保つことはできなくはないという現実と理想をうまいバランスで配置した落としどころだったのではないかと思う。

月原弦斉は苑山燕鵬との権力争いを避けたことを己の罪として語った。錬涯塾の一人は組織にそぐわないやり方で税収を増やして閑職へと送られた。

この作品では帝国が「愚か者」として描かれる。しかし、決して「無能」とは描かれない。死の直前に派閥の問題をクリアした苑山燕鵬は非常に的確な指示を送っていたし、沢樹延銘の人を人とは思わぬ作戦も伏龍を苦しめた。

「バカとハサミは使いよう」という言葉があるが、ただ能力を持っているだけでは集団の中では不十分で人が人として生きていく以上は自分が力を発揮しやすい環境を見つけることが能力のあるなし以上に大切なのかもしれない。

晴凛は個人の能力としてはそこそこであるが、その根っからの善良さは人に力を発揮させる王としての資質に繋がっているのかもしれない。

 

国って何だろうという漠然とした疑問をもう一度思い出させてくれる、楽しいだけでなく素晴らしい物語でした。

鷹見一幸さんの海洋冒険モノを他の作品を読みながら待ってます。